この時代は記憶があまりありません。
大学時代は特に身辺回りで嫌なことが立て続けにあったりしたからか、その嫌な思い出はもちろん、その周辺の記憶もかなり薄れています。記憶というのは嫌なことは忘れようとするのかも知れません。
高校でも大学でも、学校のトイレで嘔吐した記憶はないです。食事は弁当だったり、食堂行ったり普通にしていたような気はします。量的にも外ではあまり食べなかったのだと思います。
でも大学のときのバイト先はヘタをすると1日に3回まかないご飯が出るところだったので、その時は過食嘔吐していたような気もするのですが、食事休憩の時間がすごく短かったような記憶があるので、やはり覚えてないですね。
記憶というのはおもしろいもので、先日も子供の時にしていた一人遊びを思い出して、なつかしいなぁ、と思いながらそれで遊んでいました。数日間それを続けているとなぜか突然その頃のいくつかの思い出が蘇ってきて、びっくりしました。もう完全に思い出すことのなかったことも、どこかにしまわれていただけなんだなと思いました。
ここまで振り返ってみて、今でも思うのが、両親はどうして食べることを注意してくれなかったのか?ということです。これは実際に当時両親に聞いたこともあります。太るのは簡単で、痩せるのはむずかしいという壁にぶち当たった時期です。
「なぜ食べるのを止めなかったのか?」という僕の質問に
「食べたがっている子供にご飯を食べるなとは、絶対に言えない」と答えていました。
今になれば少しわかります。両親は太平洋戦争時に子供だった世代です。食べたいのに食べられない時代を育った人はそうなるのだろうな、と思います。
母方の田舎に遊びに行くと、明治生まれのおばあちゃんは見るたびに太っていく僕を見て、頼もしそうに見て、よくほめてくれていました。
それでもこの時期1970年代前半(昭和40年代後半)に子供の太りすぎを「肥満児」という言い方で学校側が生徒に注意するようにもなりはじめていました。おそらく文部科学省(当時はなんだっけ?)やら厚生労働省(当時はなんだっけ?)の指導が入りだした最初のころだと思います。
太っていることが良いとされる意見と、太っていることが健康に問題があるという意見が混じりはじめたそういう時期でした。
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